三淵嘉子の再婚相手は元裁判官!夫はどんな人?子供は?家族構成についても

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三淵嘉子 再婚相手 馴れ初め 家族構成

日本初の女性弁護士であり、初の女性判事となった三淵嘉子さん。その波乱万丈な人生は、NHK連続テレビ小説「虎に翼」のモデルにもなりました。

そんな三淵嘉子さんは、2度結婚しています。最初の夫は書生でしたが、2度目の再婚相手は元裁判官の三淵乾太郎さんです。二人は、いったいどこで、出会ったのでしょうか?馴れ初めが気になりますよね?

今回は、三淵嘉子の再婚相手である三淵乾太郎さんについて、その人物像や二人の馴れ初め、再婚同士の結婚で子供は何人になったのか?調べてみました。

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【三淵嘉子】再婚相手の夫どんな人?

三淵乾太郎さんは裁判官であり、初代最高裁長官三淵忠彦さんの長男です。優しそうな人ですね。一体どんな人なのでしょうか?

三淵乾太郎さんは、東京帝国大学法学部を卒業後、1931年に司法省に入省。東京地方裁判所での勤務を経て、高等裁判所裁判官や最高裁判所調査官などを歴任しました。

その後、甲府地方裁判所所長や浦和地方裁判所所長など、地方裁判所のトップも務め、明治大学短期大学や明治大学で教鞭をとるなど、教育にも力を入れていました。

彼の経歴をわかりやすくまとめてみました。▼

  • 1930年:高等文官試験司法科合格
  • 1931年:東京帝国大学法学部卒業、司法省入省
  • 1932年:東京地方裁判所予審判事
  • その後、東京民事地方裁判所判事、司法事務官、領事、高等裁判所裁判官、最高裁判所調査官、甲府地方裁判所所長、浦和地方裁判所所長などを歴任
  • 1951年4月:明治大学短期大学兼任教授
  • 1965年4月~1972年:明治大学兼任講師
  • 1985年8月22日死去

三淵嘉子さんの再婚相手である三淵乾太郎さんは、まさに法曹界のエリート街道を歩んだ人物と言えるすごい人ですね。

三淵乾太郎の父親三淵忠彦について

三淵乾太郎さんの父親は、三淵忠彦(みぶち ただひこ)さんです。初代最高裁判所長官を務めた人物として知られています。


日本の初代最高裁判所長官である三淵忠彦さんは、正三位と勲二等瑞宝章を誇る功績を持っています。彼は1880年に岡山県で誕生し、1950年に東京都で息を引き取りました。

三淵忠彦さんの経歴を振り返ると、司法官試補から始まり、東京地方裁判所判事、大審院判事、そして東京控訴院部長といった重要な役職を歴任しました。退官後は三井信託銀行の法律顧問を務め、また、東京商大や慶大で教鞭を執りました。

1947年に初代最高裁判所長官に任命され、1950年までその地位にあった彼は、退官後にキリスト教徒として洗礼を受けました。この決断には、後妻である三淵静さんの影響が大きかったとされています。

信仰深い人なんですね。

三淵乾太郎と父親との関係はどうなんでしょうか?厳格そうなお父さんですよね。

三淵乾太郎さんと父親である三淵忠彦さんとの親子は、具体的なエピソードが見つかりませんでしたが、お互いが尊敬し合っている仲だと言えます。

三淵乾太郎さんが裁判官の道を選んだ理由も、おそらく父親である三淵忠彦さんの影響が大きかったと考えられます。

具体的な親子関係や二人の仲の良さについての詳細は、ありませんでしたが、乾太郎さんは、父親の背中を見て育ち、自分も父親と同じように法律家として社会に貢献したい!と強く思ったからではないでしょうか。

父親の三淵忠彦さんの足跡を追い、社会正義の追求に生涯を捧げられたのをみると、親子愛を感じますよね。

【三淵嘉子】再婚相手は元裁判官!小田原一家5人殺害事件の裁判で一躍有名!

三淵乾太郎さんは、裁判官として多くの事件に関わりましたが、その中でも特に有名なのが「小田原一家5人殺害事件」です。

この事件は1949年に発生し、当時18歳の少年Sが、銭湯を経営していた男性の一家5人を殺害し、娘1人に重傷を負わせました。三淵乾太郎さんはこの事件の裁判長を務めました。

彼は死刑反対派でしたが、この事件では死刑判決を下しました。その後、彼は被告人Sと面会し、「一人の人間として、誰かを救うために来た」と説得し、Sは控訴を取り下げました。

三淵乾太郎さんが「小田原一家5人殺害事件」で死刑判決を下した後、被告人との面会を通じて説得し、控訴を取り下げさせたことは、彼の誠実さや人間性を示す行為と解釈されるかもしれません。

彼は死刑反対派であったにもかかわらず、法に則った判断を下した後でも、被告人に対する人道的な配慮を示し、彼の人生や未来に配慮したと言えます。

これは、彼がただ法の執行者としての役割に従ったのではなく、被告人の人間性や個別の状況を理解し、公正な判断を下す上での誠実さを示したと捉えることができます。したがって、この行動は三淵乾太郎さんの誠実さや人間性を肯定する一例と言えます。

しかし、残念ながら、S被告は死刑確定後にサンフランシスコ講和条約記念の恩赦によって、無期懲役に減軽されますが、仮出所後の1984年に殺人未遂で再逮捕され、獄中で亡くなっています。

三淵嘉子の再婚相手との馴れ初めは?職場恋愛?

二人の出会いは、東京地方裁判所。 当時、嘉子さんは判事、乾太郎さんは調査官として勤務していました。

嘉子さんの判事室をたびたび訪れる乾太郎さん。 そのうち、二人は意気投合し、交際をスタートさせます。

そして、1956年、41歳の嘉子さん、50歳の乾太郎さんが結婚しました。

実は、二人とも再婚同士です。 嘉子さんは最初の夫を戦病死で亡くし、乾太郎さんも前妻を亡くしていました。

共通の経験を持つ二人は、互いに支え合い、深い絆で結ばれたのでしょう。

二人の馴れ初めは、まさに職場恋愛と言えるでしょう。 同じ職場という環境の中で、自然と距離が縮まり、恋に落ちたのだと思います。

互いの理解と尊敬、そして共通の価値観が、二人の関係を築き上げたのでしょうね。まさにお似合いのカップルです。

三淵嘉子の再婚!家族構成は?子供は5人に増えた!

三淵嘉子は再婚時に、乾太郎とともに、彼の連れ子である長女の那珂、次女の奈都、三女の麻都、そして長男の力と暮らしました。彼女自身の実子である芳武も加わり、家族は一つになりました。

三淵嘉子さんが再婚した後の家族構成は以下の通りです。

妻:三淵嘉子
夫:三淵乾太郎

三淵乾太郎の連れ子

  • 長女:那珂
  • 次女:奈都
  • 三女:麻都
  • 長男:力

三淵嘉子の実子

  • 芳武

嘉子さんの実子である芳武さんについては、日本評論社公式サイトの記事(2023年12月)によると、芳武さんへの取材は2016年から書籍出版のために始まったようです。2018年には「家庭裁判所物語」を出版しましたが、その後も取材は続けられていました。

しかし、同記事には「数年前に亡くなった」との記載があり、具体的な時期は2018年~2023年の間と推測されます。

連れ子の4人については、ネット上では、再婚時に長女の那珂が結婚して家を出ていたという情報も見つかりました。また、奈都が21歳、麻都が18歳、力が14歳だったという情報もありますが、これに関する裏付けとなる情報源は見つかりませんでした。

芳武は1943年生まれであり、嘉子と乾太郎の再婚が1956年だったことを考えると、当時芳武は13歳で最年少であったことが分かります。

朝ドラ【虎に翼】三淵嘉子の再婚相手の役は誰?

朝ドラ「虎に翼」における三淵嘉子さんの再婚相手、三淵乾太郎さんの役は、俳優の岡田将生さんが演じます。ドラマでは、彼の役名は「星航一」となっています。

現時点では、まだ、放送されていませんが楽しみですね。

まとめ

日本初の女性弁護士・裁判官として活躍した三淵嘉子さん。

波乱万丈な人生を歩んだ彼女は、2度結婚しています。

2度目の再婚相手は、元裁判官の三淵乾太郎さん。 二人の馴れ初めは、東京地方裁判所での職務を通じてでした。

再婚後の家族構成は三淵嘉子さんの前のご主人の子供である芳武さんと、三淵乾太郎さんの連れ子4人の7人家族です。三淵嘉子さんは、5人の母親となりました。

【虎に翼】では、再婚相手の三淵乾太郎さんを演じるのは、俳優の岡田将生さんです。

とても楽しみですね。