桂場等一郎(松山ケンイチ)のモデルは石田和外!その理由は?ドラマと史実を比べてみた!

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「虎に翼」で桂場等一郎(松山ケンイチ)さんが演じるキャラクターは、実際の人物である石田和外をモデルにしていると言われています。

では、桂場等一郎のモデルとなった石田和外はどのような人物なのでしょうか?

ここでは、石田和外の生い立ちからその経歴、功績までを詳しくご紹介します。

ドラマや映画のキャラクターの背後には、いつも実在の人物が隠れていることが多いですよね。

今回は、朝ドラ「虎に翼」で桂場等一朗(松山ケンイチ)さんが演じるモデルの人物像について詳しく掘り下げます。

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桂場等一郎のモデルは石田和外!その理由とは

ドラマ「虎に翼」で松山ケンイチさんが演じる桂場等一郎の役には、石田和外(いしだかずと)がモデルになっていると言われています。

その理由を以下に挙げます。

  1. 司法省人事課長だった石田和外が寅子=三淵嘉子の裁判官採用願を受け取ったこと。
  2. 主人公寅子=三淵嘉子の父親が逮捕された事件のモデルである帝人事件を担当した裁判官が石田和外であること。

では、ひとつ、ひとつ、紐解いてみましょう。

三淵嘉子の裁判官採用願を受け取った人は石田和外!

ドラマの初回で猪爪寅子が会いに行った人事課長は、桂場等一郎でした。

当時、1947年、三淵嘉子さんが司法省に裁判官としての採用を求めた際、人事課長に石田和外さんが就任していました。

このシーンは、おそらくヒロイン寅子のモデルとなっている三淵嘉子さんが、戦後に司法省人事課長だった石田和外裁判官採用願を提出したエピソードを示唆していると考えられます。

寅子が裁判官になるための採用願を提出した際、それを受け取った彼はその後、彼女が司法界へと導く重要な役割を果たします。

三淵嘉子の父の事件の裁判官は石田和外!

ドラマでは、猪爪寅子の父の事件の裁判官は、桂場等一郎でした。

この事件がきっかけで、寅子は法律の世界に興味を持つようになります。

桂場等一郎のモデルは石田和外!どんな人?

石田和外さんは、第5代最高裁判所長官を務めた人物です。剣道家としても知られ、第2代全日本剣道連盟会長と一刀正伝無刀流第5代宗家をつとめました。彼は司法の独立を重んじる裁判官でした。彼は帝人事件の裁判で全員無罪とする判決を下し、注目を集めた人物です。

帝人事件の裁判とは

どんな裁判だったのでしょうか。

1934年、鈴木商店は倒産し、その保有していた帝人(帝国人造絹絲株式会社)の株が台湾銀行の担保となりました。帝人の株は人気があり、多くの人々が購入を試みましたが、成功しなかった。しかし、元鈴木商店の金子直吉が鳩山一郎や番町会というグループを動かし、帝人株11万株の買い戻しを達成しました。その後、帝人が増資を決定し、株価が大幅に上昇しました。

その結果、金子直吉や財界人が不正を行ったのではないかと時事新報が報じ、大汚職事件として社会的な話題となりました。

この騒動は斎藤内閣の総辞職にまで発展しました。

検察は帝人社長、台湾銀行頭取、番町会、大蔵省の要人を次々と逮捕しました。逮捕された人々は200日間も拘留されましたが、捜査の結果、汚職の証拠は見つからず、法的に問題のない商取引が行われていただけであることが明らかになりました。

1935年(昭和10年)、裁判が開かれました。裁判長は藤井五一郎で、石田和外は左陪審としてこの裁判に参加しました。

被告全員が罪を否認し、裁判所も被告の無罪を認定しました。

石田和外はこの裁判で判決文をまとめ、「水中に月影を掬うが如し」と述べて全員を無罪にしました。

石田和外はこの判決文で、水面に映る月を掬うようなものだと例え、事件は検察の捏造だと批判しました。この裁判により、石田和外は注目を浴びました。

この事件は「帝人事件」と呼ばれ、枢密院副議長の平沼騏一郎が内閣を倒すために仕組んだものだとされています。

1943年、2年前の1941年に発生した平沼騏一郎襲撃事件の裁判で裁判長を務めた石田和外は、中野正剛衆議院議員が商人に呼ばれた際、検察が公開中止を求めたにもかかわらず、公開を続けました。

石田和外の経歴は?

石田和外さんは、第5代最高裁判所長官を務めた人物です。剣道家としても知られ、第2代全日本剣道連盟会長と一刀正伝無刀流第5代宗家をつとめました。また、政治活動家として「元号法制化実現国民会議」の初代議長を務めました。

  • 生年月日:1903年5月20日
  • 出身地:福井県福井市
  • 最終学歴:東京帝国大学法学部
  • 職歴:司法省に入省後、東京地方裁判所長
    最高裁判所事務総長
    東京高等裁判所長官を歴任
    1963年に最高裁判所判事に就任し、
    1969年から1973年まで最高裁判所長官を務めました。
  • 1973年。定年退職。
  • 1979年。死去。享年76歳

石田和外の生い立ちについて

石田和外は、福井県福井市で生まれました。父は地元の県庁に勤務しており、祖父の石田磊さんは、福井商工会議所の初代会頭、第九十二国立銀行の頭取、そして福井市議会の議長を務めるなど、地元の名士でした。

しかし、彼がが福井中学校に在学中に、父が46歳という若さで亡くなり、一家は東京へ移住することになります。

石田和外は千代田区の錦城中学校に転校し、旧制第一高等学校を経て、東京大学教養学部と千葉大学医学部・薬学部に進学します。

その後、東京帝国大学法学部に入学し、卒業後は司法省に勤務。刑事裁判官としてキャリアをスタートさせました。

桂場等一郎と石田石田和外との比較:共通点と相違点はどこ?

石田和外と「虎に翼」のキャラクター、桂場等一郎(松山ケンイチ)は、多くの面で類似性を持っています。しかし、彼らの間には明確な相違点も存在します。以下に、それらの共通点と相違点を詳しく見ていきましょう。

裁判官としての共通点

桂場等一郎と石田和外は共に裁判官であり、司法の独立を重んじる姿勢が共通しています。彼らの裁判官としての活動は、公正な判断を追求し、法の精神を守ることに尽力していました。

三淵嘉子との関係

石田和外は、裁判官採用願を提出した三淵嘉子さんを裁判官としては採用できませんでしたが、三淵嘉子さんは司法省に入り、立法作業や最高裁事務局で重要な役割を果たしました。桂場等一郎もまた、三淵嘉子との関わりを持ち、彼女の影響を受けています。

桂場等一郎と石田石田和外の相違点は?

「虎に翼」のキャラクター、桂場等一郎(松山ケンイチ)と石田和外は、いくつかの明確な相違点も存在します。

2. 人物像の違い

石田和外は剣道家としても有名で、武道の精神を持つ一面がありました。これに対し、桂場等一郎はドラマ内で甘党としての一面が描かれており、異なる人物像が表現されています。

桂場等一郎のもう一人のモデル

桂場等一郎のキャラクターは、石田和外だけでなく草野豹一郎という実在の人物もモデルになっていると考えられます。

草野豹一郎は司法官から弁護士となり、三淵嘉子を教えたことでも知られています。桂場等一郎は、これら二人の人物の特徴を併せ持つキャラクターと言えるでしょう。

まとめ

「虎に翼」の主人公である桂場等一郎のモデルは、石田和外ではないかと言われています。この考えにはいくつかの理由があります。

まず、石田和外が三淵嘉子の裁判官採用願を受け取っていたことや、帝人事件の裁判官を担当していたことが挙げられます。

これらの事実とドラマのエピソードを比較すると、桂場等一郎は石田和外という実在した人物を組み合わせて作られたキャラクターである可能性が高いと考えられます。

ドラマから実際の人物像を想像しながら見ると、より楽しめますね。今後も「虎に翼」お見逃しなく!