ガクト沖縄弁を交えて歌う島唄|「Mステ」出演辞退でなぜ、カバー曲に島唄を選んだのか?

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皆さんは、ガクトさんが 8月21日放送の「Mステ2時間SP」をキャンセルした理由について、
すでにご存知かと思います。

本人のユーチューブでも説明しています。「番組企画の認識と、テレビ局側の認識に大きな違いがあり、情報の伝達がうまくできていない状況が何度かあったため、出演を辞退させてもらった」との事。

私はガクトファンではありませんが なぜ、ガクトさんは 数ある夏歌の中から「島唄」を選んだのでしょうか?
ユーチューブで島唄を歌う歌詞、沖縄弁を交えて歌っているガクトさんに注目!

ガクトさんの今回のこの騒動について、島唄をこの歌の背景についても、自分なりの解釈で調べてみたいと思います。

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【島唄】の歌詞に秘めた歌とは?

この歌は THE BOOM の当時、大ヒットした曲です。
若い人からご年配まで、聞いた事のある人は多いと思います。
今まで恋愛の歌だと思う人が多いのでは?

島唄」(しまうた)は、日本のロックバンドTHE BOOMの楽曲である。

1993年6月21日、「島唄(オリジナル・ヴァージョン)」が全国発売となり、150万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。その年にTHE BOOMは大晦日紅白歌合戦に出場、「レコード大賞」でも「ベストソング賞」を受賞した。また、アルゼンチンアルフレッド・カセーロが日本語のままカバーした「SHIMAUTA」が2001年に地元で大ヒット

中 略

この歌について宮沢和史は1996年ねじめ正一とのテレビ対談において「坂本九の『上を向いて歩こう』のような歌を作りたかった」と述べている[3]。また、宮沢はニュース番組「NEWS ZERO」において、「沖縄戦があったことは知っていたが、集団自決ひめゆり学徒隊などのことを知らなかった。その無知だったことに対する怒りや、当時の軍事下の教育に対する疑問みたいなもので怒りがこみ上げて、地下のガマに残っている皆さんの魂を空に解放したいなみたいな思いがあって、東京で『島唄』を作った」と述べている[1][4]

BEGIN比嘉栄昇はTHE BOOMの「島唄」について、「BOOMさんの『島唄』は画期的だった。それまでは沖縄のミュージシャンは本土でどう歌えばよいか分からず、本土のミュージシャンも沖縄で歌うのは遠慮があった。その橋渡しをポンとしてくれたのがBOOMさんの『島唄』です。ありがたかった」と述べている[5]

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia

「島唄」を改めて 紐解くと ラブソングのように聞こえますが、この歌は 沖縄戦について、平和への願いが込めた歌です。

内地のミュージシャン(宮沢和史氏)が 沖縄戦の悲惨さを 作った島唄で 島と本土の垣根を超えて、
平和への願いを込めた歌の架け橋
となっているんですね。

島唄の歌詞に込められた歌の意味とは?

THE BOOM(解散)宮沢和史さんは この曲を作った時に 朝日新聞のインタビューで
このようにのべています。

「島唄(しまうた)」は、本当は たった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。
91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。
そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、本土決戦を引き延ばすための
「捨て石」とされた激しい沖縄地上戦で大勢の住民が犠牲になったことを知った。
捕虜になることを恐れた肉親同士が互いに殺し合う。極限状況の話を聞くうちにぼくは、そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。
資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟<どうくつ>)の中にいるような造りになっている。
このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。
だが、その資料館から一歩外に出ると、ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。
この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。
歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」という下りだ。
「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが、この部分は本土で使われている音階に戻した。2人は本土の犠牲になったのだから。
(みやざわ・かずふみ。66年生まれ。歌手)

2005年8月22日 朝日新聞(朝刊)

今ある平和も、戦争の犠牲によるもの。改めて意味を知ってしまうと 胸が締め付けられそうになります。
ガクトさんは なぜ、今、この時期に この歌を選んだのでしょうか?

「島唄」の歌詞を沖縄弁を交えて歌うガクトの想いとは?

彼のインタビューで、故郷 沖縄について 述べています。

ボクは親がウチナーンチュで、7歳まで沖縄に住んでいたけど、その後は内地(本土)に移って。
16歳のときに一度、沖縄に戻ったんだけど、その後はずっと離れていて、次に戻ったのは26歳のとき。
だから姉はウチナーグチ(沖縄方言)を話すけど、ボクは片言でしか話せない。
――ときどき語尾に付く「さ」は、ウチナーグチの「さ~」ですか?
あはは(笑)。
姉の喋り方が移っているのかな。標準語で喋っているつもりなんだけど(笑)。

ウチナーグチは片言でも、沖縄人としての誇りは強くある。
いまは時代が変わったけど、ボクらが小さいころは差別もあった。
今更それを掘り返す必要もないけど、自分の中ではマイナスには働いていなくて、当時は「絶対に負けない」という気持ちだった。
海外で(出身地を)聞かれたりするけど、その度に、沖縄人というナショナリティーを
持っていると気付かされるし、沖縄人として恥ずかしくないように、とも考える。

もしかしたら、沖縄に住んでいる人たちよりも離れた人のほうが
そういう気持ちを持っているのかもしれない。https://dot.asahi.com/dot/photoarticle/2019112700092.html?page=1

「島唄」は、すでに いろんなアーティストの人が カバーしています。
沖縄出身のガクトさんが 島唄を沖縄弁で歌ったのは 故郷 沖縄への想い 平和への願い
が込められている この曲をリスペクトしているからでしょうね。

故郷、沖縄を想う 彼だからこそ アカペラで歌う歌声は、とてもメッセージ性が 高いものが伝わってきます。

まとめ

8月15日は終戦記念日でした。
同じ月の 8月21日放送「Mステ」で 島唄を披露したかったのは コロナウィルス感染拡大防止の為
終戦記念式典が縮小して行われた背景がありました。

島唄を歌う彼の想いは 先祖を敬う気持ち戦争の悲惨さを 歌に込めて、たくさんの人に 聞いて欲しかったのではないでしょうか。

「島唄」を改めて 意味を理解しながら ガクトさんの歌を聞いた。一人でも、戦争の悲惨さについて意味を考えて欲しいと想う。
ガクトさんからのメッセージと 受け止めて 黙祷を捧げたい。。

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