バレーボール界屈指の実力と人気を誇る古賀紗理那選手。その卓越した技術と類稀なる身体能力は、多くのファンを魅了し続けています。
東京オリンピック出場など、目覚ましい活躍を続ける古賀選手は、どのような家庭で育ち、どのようなご家族に支えられてきたのでしょうか?
本記事では、古賀選手の実家やご家族について、知られざるエピソードを交えながら詳しくご紹介します。
古賀紗理那の実家はどこ?
古賀紗理那選手は、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町で生まれ、6歳の時に父親の転勤のため熊本県菊池郡大津町へ引越しました。彼女の実家は、父・母・姉・古賀紗理那の4人家族です。
家族構成
父:古賀裕正(こが ひろまさ)(生年月日:1967年8月4日)
母:古賀博枝(こが ひろえ) (生年月日:1967年5月20日)
姉:古賀麗那(こが れいな)(生年月日:1994年5月31日)
本人:古賀紗理奈(こが さりな)(生年月日:1996年5月21日)
古賀紗理那の両親はどんな人?
古賀紗理那選手の父親は古賀裕正さんで、母親は古賀博枝さんです。
古賀紗理那選手のご両親は、幼い頃から「人のせいにしないこと」をモットーに子育てをされてきたそうです。
これは、バレーボールに限らず、人生においても非常に重要な教えと言えるでしょう。
責任感の強い古賀選手は、この教えを胸に、常に自分の行動に責任を持ち、努力を惜しまない選手へと成長していったのです。
【古賀紗理奈】父親は古賀裕正さん!バレーボール経験なし
バレーボール界屈指の実力派アタッカーとして知られる古賀紗理那選手。その才能を支える父親は、 古賀裕正さん。意外なことに、バレーボール経験はなく、小学校と中学校時代は野球をしていたそうです。
しかし、娘の才能を信じる裕正さんは、常に相談相手となり、支え続けてきました。選手としての成長を続ける中で、古賀選手も壁にぶち当たることはありました。そんな時、裕正さんは娘の悩みを親身に聞き、時には具体的なアドバイスも送っていました。声の出し方や力の入れ具合など、選手として更なる成長を促す助言だったそうです。
「自分はバレーを知らないのに、声の出し方とか、力の入れ具合を聞いてくる。それだけ、そのときは追い詰められていたんでしょうね。それでも聞いて、なにかしらヒントがないか探す。そういうことだったんだと思います」
サンスポ
娘の努力を誰よりも理解し、支える裕正さんの姿は、古賀選手にとってかけがえのない存在です。バレーボール経験はなくても、娘の成長を信じる父親の愛情は、古賀選手にとって大きな力となっています。
【古賀紗理奈】母親は古賀博恵さん!バレーボール経験あり
古賀紗理那選手、バレーボール界屈指の実力派アタッカーの才能を支えたのは、母である古賀博枝さんでした。
博枝さん自身も中学・高校時代バレーボール部に所属し、春高バレー出場という夢は叶いませんでしたが、娘にバレーボールを教えたいという強い想いを持っていました。
6歳の時、父の仕事の都合で熊本へ引っ越したのを機に、博枝さんは娘の紗理那さんと姉の麗那さんをよくママさんバレーに連れて行くようになりました。
そんな母の影響もあり、小学2年生でバレーボールを始めた紗理那選手は、持ち前のセンスでパスフォームも完璧。博枝さんは娘の才能に目を輝かせたといいます。
紗理那選手は小学生時代、登校前に必ず20分間は庭でトス練習を欠かさず、それをいつも優しく見守っていたのが博枝さんでした。時には練習相手になることもあったでしょう。
古賀紗理那選手をバレー界の絶対的エースに育て上げたのは、紛れもなく母の支えがあったからこそ。母娘の絆が織りなす深い愛情と努力が、彼女を頂点へと導いたのです。
古賀紗理那の学歴!出身高校と大学は?NECレッドロケッツまでの軌跡!
古賀紗理那は兄弟はいる?2歳年上のお姉さんもバレーボール選手
古賀紗理那選手には、2歳年上の姉がいます。その姉の名前は古賀麗那さんといいます。古賀麗那さんも、古賀紗理那選手と同じく、熊本信愛女学院高校でバレーボールをしていました。
麗那さんも熊本信愛女学院高等学校に進学後、全国高等学校バレーボール選手権大会(春・夏)に出場するなど、輝かしい成績を残しています。
高校進学:姉の後を追いかけて
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中学卒業後、古賀選手には県内外から7校以上のバレーボール強豪校からオファーが届きました。
しかし、古賀選手は迷うことなく熊本信愛女学院高等学校への進学を決意します。
その理由の一つは、やはり姉・麗那さんの存在でした。
麗那さんの後を追いかけ、同じ道を歩みたいという強い気持ちが古賀選手にあったのです。
高校1年生の心の成長:先輩からの言葉がもたらした変化
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高校1年生の時、古賀選手は練習試合中に先輩からの言葉に号泣したというエピソードがあります。
それまでチームのエースとして活躍してきた古賀選手でしたが、高校では新たな環境の中で、壁にぶち当たっていたようです。
そんな古賀選手に、先輩はこう声をかけたのです。
「紗理那のために、私たちがんばるよ」
この言葉に、古賀選手は涙を流しました。
チームの支えられていることを実感し、自分がチームの一員として役割を果たす必要があることを強く意識した瞬間だったのでしょう。
この経験を機に、古賀選手はより一層努力を積み重ね、チームのために貢献できる選手へと成長していきました。
お姉さんの麗那さんは、高校卒業後は佐賀大学に進学し、バレーボールは大学で辞めてしまったようです。
まとめ
バレーボール界屈指の実力を持つ古賀紗理那選手。その才能は、家族の深い愛情とサポートによって育まれたものです。
古賀選手の実家は佐賀県神埼郡吉野ヶ里町。 6歳の時に熊本県菊池郡大津町へ移住しました。
父親は古賀裕正さん、母親は古賀博枝さん。 職業は公表されていませんが、父親は転勤のある仕事だったようです。
古賀選手には姉の古賀麗那さんがいます。 麗那さんも元バレーボール選手で、VリーグのKUROBEアクアフェローズで活躍していました。
古賀選手は幼い頃から姉の影響を受け、バレーボールを始めました。 二人三脚で夢を追いかけた古賀姉妹は、ともにバレーボール界で輝かしい功績を残しています。
古賀選手は家族の愛情を支えに、日本代表として活躍を続けています。 今後も、その類まれなる才能と努力で、さらなる飛躍が期待されます。