今井礼夢選手は聴覚障害を持つプロレスラー!母は元SPEEDの今井絵理子さん!

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今井礼夢 聴覚障害 プロレスラー 今井絵理子

生まれつき耳が聞こえない先天性難聴の今井礼夢さんが、プロレスラーとして活躍しています。母親は、元SPEEDの今井絵理子さん。聴覚障害というハンディキャップを抱えながらも、プロレスへの情熱を燃やし、夢に向かって突き進む礼夢さんの姿は、多くの人々に感動と勇気を与えています。

この記事では、礼夢さんのプロレスへの挑戦、そしてその背景にある家族の絆や周囲のサポートについてご紹介します。

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今井礼夢プロフィールを紹介

今井礼夢選手のプロフィールを紹介します。

名前:今井礼夢(いまい らいむ)

リングネーム:RAIMMAN

生年月日:2004年10月18日 20歳(2024年8月現在)

学校:東京都立立川ろう学校(聴覚障害特別支援学校)2020年3月 中学校卒業

身長:166cm

体重:67kg

出身:東京都渋谷区

所属:HEAT-UP

今井礼夢さんは、元人気アイドルグループのメンバーで現在は政治家として活躍する今井絵理子さんと、人気ロックバンドのボーカリストである175RのSHOGOさんの間に生まれました。

しかし、華やかな両親のもとに生まれた礼夢さんは、生後4日に「先天性高度感音性難聴」という診断を受け、聴覚に障害があることを告げられます。

東京都立立川ろう学校という聴覚障害特別支援学校を卒業後、プロレスラーになるという夢を叶えるため、高校には進学せず、プロレス団体HEAT-UPに入門しました。

【今井礼夢】プロレスラーになったきっかけは?

今井礼夢選手がプロレスラーを志すようになったのは、幼少期にテレビやYouTubeでWWEを観ていたことがきっかけでした。特に、力強くて技のキレる戸澤陽選手と鷹木信悟選手に憧れを抱き、プロレスの世界に惹かれていったそうです。

実は、今井礼夢選手は物心つく前からプロレスラーとの出会いがあったといいます。母親が女子プロレスラーの伊藤薫さんと親しくしており、なんと赤ちゃんだった今井選手のおむつを替えてもらったことがあるのだとか。しかし、本格的にプロレスに興味を持ち始めたのは、やはりWWEを観てからです。

小学校1年生の頃、伊藤薫選手の女子プロレス団体を観戦したのが、今井礼夢選手の初めてのプロレス観戦でした。しかし、その時の印象は「怖かった」とのこと。迫力ある試合に圧倒されたのかもしれません。

プロレスファンからプロレスラーへの道は、決して簡単なものではありません。しかし、今井礼夢選手はHEAT-UP道場に体験入門し、プロレスの楽しさを知り、プロレスラーになりたいという気持ちが芽生えていきました。道場に通う中で、次第に壁を感じることはなく、自然とプロレスラーの道を進むことを決意したそうです。

【今井礼夢】プロになるために障害をどのように克服したのか

プロレスの世界は、多くの人にとって華やかで憧れの場所です。しかし、その舞台に立つためには、ただの情熱や夢だけではなく、様々な障害を乗り越える力が必要です。今回は、HEAT-UPの選手である今井礼夢選手がプロレスラーとして成功するためにどのように障害を克服したのか、彼の挑戦と成長を深掘りしていきます。

障害と向き合いながらもプロの道を目指す

今井礼夢選手は、新型コロナウイルスの影響で道場が閉鎖されるという困難な時期にも、決して辞めることなくプロレスラーとしての夢を追い続けました。道場に通えない状況は、彼にとって大きな試練でしたが、その困難を乗り越えるために自宅での練習を続けました。プロになりたいという強い気持ちが彼を支え続けたのです。

コミュニケーション能力と障害を乗り越える力

HEAT-UPの代表であり、今井選手の指導者でありデビュー戦の相手でもあるTAMURA選手によれば、今井礼夢選手の最大の長所は「コミュニケーション能力の高さ」です。難聴というハンデを持ちながらも、彼はポジティブな姿勢で周囲と接し、障害を克服してきました。TAMURA選手は、彼がいつもニコニコと聞き入る姿勢が特徴的である一方で、時には指導内容を理解していないこともあると語っています。それでも、そのポジティブな姿勢が、逆に彼の強さの一部であるとしています。

プロテストでの苦悩と成功

プロレスラーとしての道を歩むためには、体力面でも大きな試練が待っています。今井礼夢選手は、プロテストで5分間の縄跳びを飛び続けるという課題に直面しました。初めは全くできず、練習を重ねても成功する兆しが見えませんでしたが、本番で見事にクリアしました。

TAMURA選手によると、聴覚障害を持つ人は足の振動を捉えにくいため、縄跳びのリズムを取るのが難しいと言われています。それでも、本番に強いという資質が彼の力を引き出したのでしょう。

本番に強い資質がプロとしての成功へ

本番に強いという特性は、プロレスラーとして大きな武器となります。今井礼夢選手は、プロテストの初めの課題をクリアした瞬間、感涙しながらもその後のテストも続けて合格しました。彼の本番での強さは、プロとしてのキャリアにおいても大いに活かされることでしょう。

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【今井礼夢】の母親は元SPEEDの今井絵理子!息子の未来への思いとは

今井礼夢選手の母親は元SPEEDのメンバーであり、現在は政治家としても活動している今井絵理子さんです。今井絵理子さんが息子のプロレスラーとしての道をどのように支えてきたのか、その思いを掘り下げていきます。

息子のプロレスデビューに感涙する母

今井礼夢選手のプロレスデビュー戦では、リングサイドで熱心に見守る姿が印象的でした。母である今井絵理子さんは、試合中に涙を浮かべながら応援し、試合終了後には息子の通訳としてマイクを持ってメッセージを届けました。その姿は、多くの人々に感動を与えました。

試合後、今井さんは自身のインスタグラムを更新し、息子のデビュー戦を見届けた思いをつづりました。《「プロレスラーになりたい」と告げられた日から母として葛藤の日々が続きました》と、その心の葛藤を告白しています。

さらに、《息子の夢を、、、思いを、、、止めてはいけない。止めちゃいけない。何度も何度も自分に言い聞かせました》と、自身の苦悩を共有しました。

それでも、《息子には、まっすぐにできると信じてほしいし、夢を追い続けてほしかった。今日はその夢が一つ叶いました》と、息子の夢の実現に喜びをつづった今井さんの姿には、多くの感情がこもっていました。

早い段階からの支えと愛情

今井礼夢選手が生後4日の頃、耳が聞こえないことが判明した際、今井さんは悲しみに暮れると同時に、「これは、きっと神様からの私へのギフト。私は、この試練を乗り越えるために生まれてきたんだ」と誓いました。息子と共に生きるための覚悟を決め、その後、口話法の学習や子守歌、楽器の購入など、あらゆる方法で息子の成長を支えました。

ろう学校で手話を習い始めると、親子の絆は一層強まりました。礼夢選手が手話を使って感情を表現できるようになると、今井さんは「彼の心のなかの気持ちがより理解できるようになったことは、本当に嬉しくて」と語り、その成長を心から喜びました。

未来に向けての親子の挑戦

今井絵理子さんと礼夢選手の親子二人三脚の挑戦は、これからも続きます。礼夢選手がプロレスラーとしての夢を追い続ける中で、母である今井さんは常にその背中を支え、励まし続けるでしょう。二人の強い絆と無限の愛情が、未来のさらなる成功へと導くことを願っています。